ブログ

サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

主に対するように!

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」  コロサイ3:23

 今日の聖書の箇所は夫婦関係、親子関係、主人と奴隷の関係、という三つの関係のあり方を記しています。

特に信仰者としてどのように他者との関係を持つべきかは大切なことで。人間の問題や悩みの9割は対人関係であるといわれます。

私たちも対人関係が正しく問題なくなされているならば恐らくほとんどの悩みは解決しているのではないでしょうか。 大切なことは23節の御言葉です。 

「人に対してではなく、主に対してするように」という姿勢はクリスチャンの対人関係の原則です。

3組の関係で共通することは「従うこと」です。
まず私たちは神様に従うことが大切です。そしてその結果、目の前にいる人に従うということも出来るのです。

それはいやいやながらとか形式的な従順ではなく、「心から」のものとなります。

まず神様に対する正しい姿勢を学び、そこから正しい対人関係を得させていただきましょう。

2017年3月10日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

愛は結びの帯として完全!

「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」  コロサイ3:14
 

  イエス・キリストを着たクリスチャンの具体的な歩みについて今日の箇所では教えられています。

私たち自身が身に着けるキリストという服は具体的には「深い同情心」「慈愛」「謙遜」「柔和」「寛容」という内なる性質を示すものがあります。これはイエス様ご自身のご性質に他なりません。

これらが行動として現されるのが「赦し」なのです。私たちは他の人がやることや言うことに不満を抱くことがあるかもしれません。

しかしその様な時にこそキリストを着た私たちは互いに赦し合う者となるべきなのです。

それはイエス様が十字架の上で現された最高の愛だからです。イエス様を模範とする私たちはまず赦し合う群れでありましょう。

キリストという服を着るために腰に巻く帯は「愛」です。

神様の愛が私たちにイエス様を教えてくださり、イエス様のようにすることが出来るようにしてくださるのです。

その結果としてキリストの平和が心を支配し、キリストのことぱが豊かに内に住み、主の名によって全てを行うことが出来るようになるのです。

 

2017年3月10日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

神の栄冠を得るために!

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」  (ピリピ3:8)

 クリスチャンの歩みは旅や登山に例えられるように、目的地に向かって進む歩みです。生きている限りは道半ばなのです。私たちも前に向かって進む、目標に向かっていく、そのよな心を持つことが大切です。

  そこに信仰者としての成長があるからです。パウロはまずイエス様の復活の力を知ること、そしてイエス様の苦しみにあずかること、さらにイエス様の死と同じ状態を求めます。

  つまり十字架への道、それこそが復活に達する、つまり永遠の命を持って生きる信仰者の目標だからです。言葉で言うのは簡単ですが、十字架の道とは忍耐と苦難であり、不本意な状況でも苦しみの中でもイエス様がそれを忍んだように忍び、祈ったように祈ることです。

  さらにイエス様の死と同じとは不当な裁判の中でも黙して耐え忍び神様の御心を成し遂げるために立ち続けたイエス様の姿であり、苦しみにながら死んでいったイエス様の姿です。簡単に出来ることではありません。

しかしそんな信仰の歩みを全うしたものに神様が栄冠を与えて下さるのです。

2016年10月16日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「そこ!が世と違う」

「・・・互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」    (ヨハネ13章34~35節)

 先日、国道沿いの看板が目に留まりました。方言でアジア諸国は皆兄弟という意味で書かれていました。様々な違いを越えて受容する事が大切です。

 それは分かっているが家庭や教会の中でも意見が異なり、難しく感じます。聖書に登場する弟子達もそうでした。その多様な人々を大切にし、受容する主イエス様。遂に言葉だけではなくいのちを犠牲にし、その愛と赦しを現しました。その方に私たちも倣います。

信じて、内面を明け渡し、従う時に上記のお言葉が成就します。残念ながら私たちの住む社会は古い人、生まれつきの堕落した人間性がむき出しです。

相模原市の施設で起きた事件やヘイトスピーチなど排斥、憎悪主義がその闇を濃くしています。ですから世へ光を輝かし、灯すのが私たちです。

 今こそ社会へ向けてイエス様のお心を明らかにしていきましょう。

2016年10月15日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

キリスト・イエスを知っていることのすぱらしさ

「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」 (ピリピ3:8)
イエス様との出会いは人生で最大の祝福と言ってもよいでしょう。昔から 「人生は出会いで決まる」と言われますが、私たちは人生で出会った大たちによって影響を受け、人生観や生きざまが決まっていくものです。

その中で自分の基準が生まれ、良いものと悪いもの、価値あるものと価値のないもの、と判断するようになりました。

パウロがイエス様と出会う前に持っていたものは全て、当時のユダヤ人の基準で言えぱすぱらしいものばかりで、他者がうらやむようなステータスでした。

しかしパウロは誇らしげに高らかに宣言します。「これらは全部損である」、「ちりあくた(ごみ)である」、と。それはキリストがあまりにもすばらしいから、その救いもイエス様による人生の祝福も他のものと比べることも出来ないほどにすぱらしいからです。

私たちはどれだけイエス様を知っていることの素晴らしさを自覚しているでしょうか。イエス様の救いは人生の方向を変え、意味ある価値あるものにします。
自己中心な生き方から神様中心の生き方になります。これこそが幸いの道なのです。

hana

2016年10月15日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91