赦されているから赦す

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6章12節)

 日本語には「ゆるす」という漢字が2種類あります。一つは「許す」でもう一つが「赦す」です。

聖書が記す神様の教えは「赦す」ことを命じておられ、それこそが信仰の土台であり、原点であることを示すのです。

主の祈りの5番目の祈りは「赦し」についての祈りであり、人間関係において最も重要な姿勢がここにあります。誰かを赦せないという気持ちを持ちながらイエス様の信仰を保つことは難しいことです。

なぜならばイエス様の教えの大前提として神様の愛と赦しがあるからです。イエス様によって救われたクリスチャンは何よりも赦す人でなければならないのです。

 聖書では「負いめ」と訳されている言葉は端的に言うと「罪」のことを現わします。

この祈りはそのまま読むとあたかも神様から罪を赦されることは、私たちが誰からの罪を赦した条件のように読めます。

しかし神様の救いや赦しは、私たちが何かをしたから与えられたものではなく恵みです。

むしろこの祈りは弟子たちに与えられた模範的な祈りであることを考えるならば、すでに赦されているからこそ、誰かを赦すことが出来るものになる、そんな告白なのです。

2017年6月28日 | カテゴリー : 城倉牧師 | 投稿者 : 18nahabap91