主任牧師の就任式がありました。

2016年4月5日に主任牧師の就任式がありました。

 長年、「那覇バプテスト教会」の主任牧師を務めてこられました国吉守牧師に変わり、副牧師の城倉翼牧師が主任牧師に就任しました。

国吉守牧師は、名誉牧師に就任されます。

お二人の牧師に神様の豊かな祝福と、那覇バプテスト教会にもさらなる主の祝福と導きがありますように。

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「幸いな人!」

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその大たちのものだから。」

                                                                          (マタイ5章3節)

 聖書に記されているイエス様の最初のメッセージが「山上の説教」と呼ばれるマタイ5~7章に渡る話である。そこには信仰者の地上での生き方が多く記されている。

まずイエス様が語られたのは「七福の教え」と呼ばれるどのような人が幸いなのかという教えであった。

実はその教えは実際には幸せそうでない、この地上では幸せとは言い難い人たちへのメッセージであった。

神様に覚えられ、また本当の幸せを得ることが出来る大は、この地上での価値観とは違うものを見ている大である。

弱く、貧しく、力なく、愚かで、しかし神様の前に誠実に自分なりに精一杯、信仰によって生きる者こそ幸いなのである。

「心の貧しい者」とは自分でしたい善が出来ない弱い人のことであるが、そのような人こそ神様の近くにいることをイエス様は語られたのである。

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2015年4月19日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「イースターの喜びを伝えよう!」

イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』」       (ヨハネ11:25)

 

 何と力強い、権威に満ちた宣言であろう。正にイースターおめでとう、八レルヤである。

全人類が死の恐怖に包まれ、おののいているこの世界で「わたしはよみがえりです。」と宣言できるのはイエス・キリストだけである。

この宣言をした主がもし実際に復活しなかったらイエスは誇大妄想の偽預言者 として世界の笑い者となっただろう。

  しかし、主は復活後40日も地上におられて多くの人々に復活の事実を示された。かつてキリスト教を迫害したパウロは復活の主に出会って「しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」と信仰告白した。

全世界に向けて「死は勝 利にのまれた」と大声で叫ぶことができるキリスト者は何と幸いか!いざ、この復活の勝利を、いのちの福音をテロと報復の殺しの世界に伝えよう。

イースターの喜びを県民に、国民に、世界に伝えよう。

hana

2015年4月5日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「戦後70年・福音を信じる時!」

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」 (マルコ1:15)

 2015年は戦後70年の節目の年であり、イスラエル民族が70年のバビロン捕囚から解放され、祖国に帰還して新しいエルサレムの再建に着手したように、わが沖縄県民も、70年に及ぶ植民地支配から解放され、新しい平和県としてスタートする時である。

 しかし、現実は未だ厳しく、植民地からの現実的解放はまだ先のことで今は見えない。けれども主は県民を愛して、希望を与え、精神的、霊的には県民に光を与えて

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ」と激励しておられる。

世の光なるイエス様が私たちをかくも励まして下さるとは勿体ない限りである。

辺野古や高江でどんなに国家権力が平和を希求する人々を排除しようとも県民は怯むことなく飽く迄も平和を造る者として行動している。

 今や何人も主のみ前に悔い改めて福音を信じる時である。

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2015年3月1日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「人を生かす神のみことぱ!」

「イエスは答えて言われた。『人はパンだけでいきるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」  (マタイ4:4)

 世界はパンの奪い合いが益々激しくなっている。パンを得るために命をかけて戦っている。しかし彼らは大事なことを見落としている。

「人はパンだけで生きるのではない。」という事と「人間として生きるために必要な主のみことぱがあるという事である。

彼らは自らを神として権力、武力、暴力を行使して弱者と子どもをはじめ多くの人命を奪って平気でいる。主は必ず公正な裁きをされることを彼らは知るべきである。

天地の創造主は地球を愛し、人を愛し、四季を与えて人類が互いに理解し、愛し合って幸せに過ごすよう望んでおられる。

だから人間は神のみ前に脆いて神のみことばを聞くべきである。

主は「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」と宣言し、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげます」と招いておられる。

ikebana

 

2015年2月22日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「平和の発信は沖縄の心!」

「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。まことに主は、海に地の基を据え、....」(詩篇24:1~2)

天も地も海も誰のものか、すべては創造主のものである。[初めに神が天と地を創造された]とは世界の常識であり、この宇宙の大前提である。

しかるに、神の創造されたこの沖縄の海を平気で傷つけている。権力は神を恐れぬ人間の傲慢であり、神の裁きを招くものである。

創造主は地球の正しい管理を人間に委ねられたが、人間の勝手な欲望のために地球の破壊を許可した訳ではない。

21世紀は環境の世紀であり、世界の国々は協力して地球を大事にすべきである。このように重大な時に、美しい海を破壊し、珊瑚を死滅させることはあってはならない。

しかも、戦争の準備のための基地拡大のために海や珊瑚を破壊することは言語道断である!

沖縄は昔から平和の島であり、今も平和の発信地であり、これからも、いつまでも平和を発信すること、これが民意であり県民の心であろ。

平和

2015年2月15日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「主は信仰を求められる!」

「イエスは女に言われた『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。』」

  (ルカ7:50)

 女はイエスの足を洗い、髪の毛でぬぐい、頭に油を塗り、足に香油を塗った。それはその女がしたすばらしい行為であった。

 しかし、イエスは「あなたの行為があなたを救った」とは言わないで「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われた。女の行為はイエスに対する信仰から自然に出たもので主が求められたのは信仰である。

女がイエスに対して「われ信ず」と信仰を告白していることを見抜いたイエスははっきりと「あなたの信仰があなたを救った」と強調された。

人が救われるための唯一の条件は信仰だけである。イエスを救い主と信じる者は誰でも救われる。

パリサイ人や律法学者は律法を守る行為が救いだと自己主張を曲げずイエスに逆った。

自己義認で行くか信仰義認で行くか、各自決断をする時である。

道であり、真理であり、いのちである主イエスを信じて救われた喜びと賛美と感謝の日々を送ろう!

2015年2月8日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「魂に安らぎを与える主!」

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」  (マタイ11:28)

 現代人は疲れている人、ストレスで悩んでいる人、人間関係で行き詰まっている人、生きる望みを失っている人、死んだ方がらくだと思っている人など多くの人々が重荷を負って苦しんでいる。

最近の県民調査中間報告によると県民の6人に一人に当たる16.3%が自殺を本気で考えたことがある。そのうち2割超は最近1年以内に自殺したいと思ったと回答している。

これらの方々がどのように乗り越えてきたかというと、趣味や仕事などで気を紛らわせるよう努めたが最も多く、次いで家族や友人、職場の同僚など身近な人に悩みを聞いてもらったとある。

 人は矢張り1人では生きられない。人は人との交わり、信頼関係で生きている。そこに働いているのが愛である。

人は愛されている事が分かった時、生貪る希望に導かれる。主キリストはあなたを命がけで愛しておられる。

2015年2月1日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「新たな決意とビジョン!」

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」  

(ピリピ4:13)

 これはパウロのローマの獄中からの信仰の告白である。因人とは思えない力強い告白である。主キリストが強くしてくださるので「どんなことでもできる」とパウロは確信している。

一方主キリストは「わたしから離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」とおっしやっておられる。

  信仰生活とはキリストにあってはどんなことでもできるが、キリストを離れては何もできないことを体験することである。

私たちも主にあっては我慢することも、赦すことも、愛することも、和解することもできる。

しかし、イエス様を離れては神を喜ばすことも、讃美することも、祈ることも、悔い改める事もできない。これが人生の事実であり、キリスト者の証しである。 

新年に向け私たちも新たな決意とビジョンをもって主キリストから日を離さないように互いに励まし、祈りつつ神の国建設とビジョンに共に励もう!

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2015年1月12日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91

「新しい年に新しくなろう!」

「人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は避けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

 (マクイ9:17)

 新年を迎え、新しい思いと新しい決意をもって新年礼拝に向かったことと思う。主イエスは新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れよ!と命じておられる。

もし古い皮袋に新しいぶどう酒を入れると弾力性がないので破れてしまう。しかし人間は古い皮袋に執着して新しい物を受け付けない。

コペルニクスが地動説を説いても人々は天動説に執着した。イエスが律法に優る福音を提示しても律法学者やパリサイ人は古い皮袋に執着して、新しい福音を受け入れなかった。

この世の人生哲学に優る福音が語られても人々は受け入れない。古い殼を脱いで新しい福音の習慣を身に付けよう。新年に当たって新しい自分となって、喜びと祈りと感謝の一年としよう!

主の大いなる祝福を共に祈ろう!

hana

2015年1月4日 | カテゴリー : 国吉守牧師 | 投稿者 : 18nahabap91