「『主よ。どうかお怒りにならないで今一度だけ私に言わせて下さい。もしやそこに十人見つかるかもしれません。』すると主は仰せられた。『滅ぼすまい。その十人のために。』」 (創世記18章32節)
信仰の父と呼ばれたアブラハムの執り成しの祈りは私たちの執り成しの模範的な姿勢です。
彼は基本的には神様が罪をさぱくことに対して異を唱えていませんが、もしもその町に正しい者がいたらどうでしょうか? という仮定の話を持ってそのさばきが取りやめられる可能性を訪ねたのです。
最初アブラハムは50名の正しい者がいたならば、と主に問いかけます。
主はその50名のためにさぱきを止めると言われます。次にアブラハムは45名とすると、同様に主は答えました。40名、30名、20名、と繰り返しアブラハムは問いかけ続け、ついに10名ならば?と問いかけるのです。
「滅ぼすまい。その十人のために」と主は応えて下さいました。
アブラハムは実に5回に渡って神様に問い続け、主の御声を頂いたのです。
アブラハムの祈りの動機は憐れに思ったこと、つまり愛だと考えられます。
またアブラハムの姿勢は、決してあきらめないで主の前に立ち続ける祈りでした。このすがたこそが私たちの執り成しの祈りなのです。