平和をつくる神の子ども!

「平和をつくるものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」 (マタイ5章9節)

 毎年巡って来る6月は沖縄にとって忘れてはならない月で、23日の「慰霊の日」がその中心です。

72年前県民は23万人余の沖縄戦犠牲者を覚えて、2度とあの悲惨で残酷な戦争をしてはならないと誓ったのです。

この県民の決断を継承するのが慰霊の日です。

戦争体験をしたから戦争に反対し、体験してないから分からないというものではない。人殺しの経験がないから人殺しがよいか悪いか分からないという人はいないのです。

ういう人はサタンの子です。サタンは初めから人殺しで天地の創造主であるいのちの主なる神に挑戦しているのです。サタンは戦争を人間同士の戦いに見せかけて、心で笑い喜んでいるのです。

これがサタンの策略です。

 私たちはもうサタンの策略に鴫されず、平和こそ父なる神の御心であり平和の君であるキリストの御心であり、聖言による聖徒の一致こそ三位一体の神、歴史の主なる神の御心である事を共に確信しましよう。

そして主と共に前進する事を誓い合いましょう。

「天でも地でも」

「・・・みこころが天で行われるように地でも行われますように。」
(マタイ6章10節)

神様の御心はなかなか簡単に分かるものではないかもしれません。

聖書に記されている「全ての人が救われること」や「神の国とその義を第一にすること」や「神を愛し、人を愛すること」等は、明確に分かりますが、具体的な人生の中での様々な選択を迫られる時、どちらが御心なのか分からないことも多々あります。

御心を探り求め続ける祈りがクリスチャンには必要です。

 主の祈りにおいて、神様の御心は天においては完全に行われている、という真理があることに気付きます。それは同時に地上においては神様の御心は行われない事もあることを示します。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。

一つは神様ご自身がその創造の業の折に地上の事を人間に委託されたからです。人は地上を管理し、正しく 導く使命を与えられているのです。

しかし現実には人間の世界は、戦争やテロ、飢餓や、国々の葬いや内乱が絶えることがありません。

 20世紀からこのかた戦火が途絶えたことがないのが人間の現実です。そのような中で信仰者は「平和をつくる者」となることを期待されています。特に沖縄においてはこの6月、まことの平和の主による平和の実現を祈る者となりましょう。

大長幸一郎牧師の退任感謝・激励会がありました。

那覇バプテスト教会で長年ご奉仕された大長幸一郎先生が、9月いっぱいで那覇バプテスト教会の牧師を退任されることになりました。

先生の長年の労苦に感謝を込めて、先生ありがとう-感謝・激励会があり、150名近くの方が集いました。

涙あり、笑いありと先生の人柄があふれる感謝な会となりました。

信徒にとっては、寂しいことではありますが、先生のご家族のうえに、神様の導きと、豊かな祝福をお祈りいたします。

 

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2016年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

詩と賛美と霊の歌とをもって

「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。

        (エペソ5章19節)

 今日の聖書の御言葉には具体的なクリスチャンの歩みが記されています。私たちがどのように歩むかはエペソの手紙に一貫するテーマの一つですが。ここでは賢い人のように歩むことが勧められています。

様々なことが記されていますが第一に機会を充分に生かすこと、第二に主のみこころを悟ること、第三に酒に酔わず御霊に満たされること、第四に賛美を共有して捧げること、第五すべてのことを感謝すること、そして第六に互いに従い合うこと、です。

   その中でも四番目の賛美を共有して捧げる勧めは興味深いものがあります。「詩と賛美と霊の歌」はあらゆる種類の神様をほめたたえる賛美を表します。

これらは互いに主の素晴らしさを語るため、つまり証しのためです。また賛美は大にではなく神様に向かって心からささげるものであることを教えられるのです。

2016年5月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「律法の完成者イエス」

「私が来たのは律法や預言者を廃棄するためだとおもってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」        (マタイ5章17節)

聖書の最初の五書をモーセ五書といい、これは律法の書と呼ばれています。イエス様の時代最も重要な規定として定められており、パリサイ人や律法学者たちが厳格に守ることを命じていました。

厳密には彼らはこの律法をさらに細かく規定し聖書に書いてあることをもっと細かく定めたのです。その結果、本来神様が与えた時の趣旨とは異なり律法を守るために律法があるようになりました。

イエス様の言葉は彼らの定めた律法に対して本来の意味を問うものでした。イエス様は律法を守ることでは人間が神様のみもとに行くことは出来ないということを教えられました。

誰も神様の前に義人はいないからです。神様との道を開き律法を完成することが出来るのは、イエス様だけでした。イエス様の十字架の救いだけが神様と人を結び合わせる律法の完成なのです。

 

 

2015年5月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「地の塩、世界の光」

「あなたがたは地の塩です。・‥あなたがたは世界の光です。」

                        (マタイ5章13、14節)

 地の塩と世界の光はそれぞれ地上に置けるクリスチャンのあり方を示しているお言葉です。

地の塩が現すことは第一に料理のために用いられるように味付けをすることです。世の中に影響を与え信仰の味をつけることを期待されているのです。

第二に防腐剤の役目です。罪にまみれ神様から離れた地上に神様の愛を語り、そのまま腐っていくことがないようにするのです。

第三に聖めの役目です。実は聖書に塩は聖める神様への捧げものとして出てくるのです(レビ記2:13、民数記18:19、エゼキエル43:24)。信仰者は汚れを防ぐだけでなく、積極的に世の中を聖めるものでありたいのです。

さらに私たちは「世界の光」でもあります。山の上の町が隠れないように、世に出て行き主にある光を輝かせる者となりましょう。

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2015年5月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「12年もの重荷からの解放!!」

「彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。」                                                      

(マルコ5:27)

 会堂管理者の娘を癒すため、イエス様はヤイロの家へ向かいました。急ぐイエス様に近づく一人の女性がいました。

この人は12年もの間、血が流出する婦人病に苦しんでいました。多くの医者にかかりながらも、一向に改善されません。むしろ悪くなる一方で、彼女は失意のどん底にいました。

 ある日、この女性がイエス様のことを耳にしました。病を癒すイエス様の御業を聞いて、彼女の内に信仰と希望がわいてきました。

「この方には癒す力がある!」。その確信が「イエス様の着物をさわれば癒される」というほどの信仰と行動になったのです。

 聞いて、信じて、行動する。 12年間の重荷から解放された瞬間です。実に信仰は聞くことから始まるのです。

yuri

2015年4月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

十字架と月

夜の教会に浮かんだ 月と十字架のコラボレーション!!!

「神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物(太陽)には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物(月)には夜をつかさどらせた。....」

(創世記1:16)

yorunokyoukai

 

2014年1月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91