クリスマスを待ち望んで(アドベント・カレンダ-で迎えるクリスマス)第1週

教会では、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスを迎えるまでの4週間、11月29日(日)から12月24日(木)までをアドベントと呼んでいます。

那覇教会では、毎年「アドベント・カレンダ-」を作成し、毎日、聖書の御言葉を読んでクリスマスを待ち望みます。

今年は、多くの方々とこの恵みの時をご一緒したいと思い、1週間分の「アドベント・カレンダ-」を掲載します。

皆様の心に神様の恵みと平安、希望、喜びが溢れることをお祈りしております。

アドベント・カレンダ-第1週pdf →アドベントカレンダー(2020:最新版)第1週

2020年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「世界食料デーのために祈ろう」

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」      (マタイ25章40節)

沖縄で世界の飢餓を覚えて支援する食料デーが始まって30年が過ぎました。

最初の実行委員長は当教会の国吉守先生でした。当時は世界の飢餓に対する気運も高く沖縄から多くの献金を捧げることが出来ましたし、那覇教会でも多くの方々が志を持って捧げていました。

しかし残念なことに昨今は意識が低くなっており、大会への参加者も減少しているのが現状です。

しかし今なおも銑界の飢餓は続き多くの国々の人々が飢えのために毎日死んでいる現実があります。

私たちは普通飢え死にすることはありません。日本では、多くの食材が家庭においてもレストラン、スーパー、コンビニでも毎日のように捨てられています。

私たちの国が捨てている物だけでどれだけの国々の人たちの命を助けることが出来るかを考えるならば富んでいる私たちは弱っている方々や飢えている方々のために捧げるべきなのです。

 イエス様は冒頭の御言葉の中で弟子たちに、これらの弱っている者や飢えている者、貧しい者たちにしたことは、わたしにしたことと言われました。

イエス様への奉仕と献身の心をもって食料デーのために祈り、協力し参加しましょう。

2017年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「熟練信仰へ成長」

 「・・・『わたしに従いなさい。』」
        ヨハネ21章19節

 72年前、日本が戦争で敗れ、300万人以上の人命を失い、焦土となり、戦後の歩みが始まりました。

その中で教団教派を超えて戦前、戦中の誤った教界の歩みを悔い改めています。世俗と迎合し、聖書が教えるまことの神様に背き、神でもないものを神としたからです。

そこで主の憐みと赦しを覚え、多くの助けを得てきました。それは愛による回復期と言えます。そして成長していくのです。

書の人物ペテロもパウロもそれを経験しています。そして私たちもそうです。今、私たちは主の手足として生きる成長期の中にいます。

しかし現実は厳しいと感じるでしょう。或いは自らの考えや負の感情に縛られ、回復はまだだと思うでしょう。

でも私たちはキリスト者です。新しく生まれ変わった、世俗や自らの弱さを乗り越えて勝利する者です。

それが熟練した真の信仰なのです。

今こそ私たちは殼から出て、キリストを明らかにしましょう。世俗、死も悩みも恐れず勝利の主と共に進みましょう!

2017年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

「ヒゼキヤの祈り一主の前に」

「主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。」 (Ⅱ列王記19章16節)

 分裂王朝時代の後半、アッシリヤ帝国によって北イスラエル王国が滅ぼされ、南ユダ王国にもその侵略の手が伸ばされようとしていた時です。

時の王はヒゼキヤ王であり、父親が偶像礼拝を国に蔓延させたのとは反対に、徹底的に国から偶像を排除した王でした。

特筆すべきは、かつてモーセの時代に作られた青銅の蛇をも彼は破壊し一切の偶像となりうるものを国から取り除いたことでした。

改革者であるヒゼキヤ王はそれ以外にも公共事業として水路を国に通したり、アッシリヤ帝国に対しても従属的姿勢よりも対等の国交を樹立しようとしました。

しかしそれはアッシリヤが攻め込む格好の理由を与えてしまったことになります。アッシリヤのセナケリブ将軍の侮蔑的な手紙は力を背景にした無慈悲なものでした。

ユダ王国の国力では到底アッシリヤの大群に抗うことは出来ない状況でした。しかしそのような時にヒゼキヤは祈るために主の前に行くのです。

主の前に手紙を広げ、主よ聞いてください、ご覧ください、と語るその姿勢は正に目の前にいる神様を体験している信仰者の姿勢そのものなのです。

2017年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 18nahabap91

平和をつくる神の子ども!

「平和をつくるものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」 (マタイ5章9節)

 毎年巡って来る6月は沖縄にとって忘れてはならない月で、23日の「慰霊の日」がその中心です。

72年前県民は23万人余の沖縄戦犠牲者を覚えて、2度とあの悲惨で残酷な戦争をしてはならないと誓ったのです。

この県民の決断を継承するのが慰霊の日です。

戦争体験をしたから戦争に反対し、体験してないから分からないというものではない。人殺しの経験がないから人殺しがよいか悪いか分からないという人はいないのです。

ういう人はサタンの子です。サタンは初めから人殺しで天地の創造主であるいのちの主なる神に挑戦しているのです。サタンは戦争を人間同士の戦いに見せかけて、心で笑い喜んでいるのです。

これがサタンの策略です。

 私たちはもうサタンの策略に鴫されず、平和こそ父なる神の御心であり平和の君であるキリストの御心であり、聖言による聖徒の一致こそ三位一体の神、歴史の主なる神の御心である事を共に確信しましよう。

そして主と共に前進する事を誓い合いましょう。

「天でも地でも」

「・・・みこころが天で行われるように地でも行われますように。」
(マタイ6章10節)

神様の御心はなかなか簡単に分かるものではないかもしれません。

聖書に記されている「全ての人が救われること」や「神の国とその義を第一にすること」や「神を愛し、人を愛すること」等は、明確に分かりますが、具体的な人生の中での様々な選択を迫られる時、どちらが御心なのか分からないことも多々あります。

御心を探り求め続ける祈りがクリスチャンには必要です。

 主の祈りにおいて、神様の御心は天においては完全に行われている、という真理があることに気付きます。それは同時に地上においては神様の御心は行われない事もあることを示します。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。

一つは神様ご自身がその創造の業の折に地上の事を人間に委託されたからです。人は地上を管理し、正しく 導く使命を与えられているのです。

しかし現実には人間の世界は、戦争やテロ、飢餓や、国々の葬いや内乱が絶えることがありません。

 20世紀からこのかた戦火が途絶えたことがないのが人間の現実です。そのような中で信仰者は「平和をつくる者」となることを期待されています。特に沖縄においてはこの6月、まことの平和の主による平和の実現を祈る者となりましょう。